マルでの手記 ~アロマサロンを訪れて~

様々なアロマサロンを訪れ、そこでご活躍されているセラピストさんの断片をていねいに切り取っていきたいと思います。
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『癒し処 つばき』 part2

返事はまだ来ませんでした。前回の「癒し処 つばき」の初稿原稿を送ってから3日。齋藤さんからの返信のメールはまだ来ていなかったのです。


正直、わたしは多少の不安を感じていました。


ひょっとしたら、書き上げた原稿が、まったく気に入らないものだったかもしれない……。この部分は削除してほしい、といった要望であれば、まだどうにかなるものなのですが、まるまる全文気に入らないとなっては、こちらも手の施しようがありません。


「書いていただいたエッセイはわたしの意図するものから外れたものでした。申し訳ありませんが、今回のエッセイのブログ掲載はご遠慮させていただきたいと思います」 


そんな文面が、(冷や汗とともに……)たまに頭にふとちらついては、この数日、わたしは齋藤さんからのメールを粛々と待っていたのでした。


すると、それから二日後、齋藤さんからいよいよ返信メールが返ってきました。そして懸案のメールの内容に関しては、わたしの予想とはまた大きく違った内容のものが送られてきたのです。


「実は読み進めて行く中でもう一度お話をさせて頂けないかなって思っています。あの時、つばきを開く経緯を少しためらいながらお話をしていました」


そしてメールでは “ また話をする機会をいただけないか ” ということと、“ このようにわがままを言って申し訳ありません ” というお詫びの内容が、齋藤さんらしい丁寧な文面で書かれていました。


話を伺ってみないことには事情はよく分かりませんが、とりあえず、エッセイが無効になったわけではなかったようです。
わたしはひとまず安心し、そしてまた、この急な新たな展開に戸惑いながらも、再度、サロンパートナーである中村とともに、中野島の「つばき」さんへと伺うことにしたのでした。




わたしたちは前回つばきさんへ行ったときと同じ道を通っていきました。


今回は夜七時の予約で、もうすでに道はだいぶ暗くなっていました。道中の用水路も心なしか濁ったように感じられます。前回いたと思っていた魚たちもその日はどこにも見当たりませんでした。


サロンに着くと、齋藤さんは開口一番、「わざわざまた来て下さって、ありがとうございます。本当はわたしからお伺いしようと思っていたんですけど、なんか申し訳ありません」とご挨拶されました。


前回はわたしが施術を受けたこともあり、今回は中村が施術を受けます。中村が別部屋で着替えの準備をしている間、わたしは今回自分がメモするノートを手に取りながら、部屋をじっと見回しました。まだ、3週間ほどしかたっていないのですから、特にこれといって、大きく変わっているものはありません。それでも、この部屋に来ただけで、なんだかとても懐かしい感じがしました。ウサギやねこの人形に、「つばき」と書かれた大きなひょうたん、ガラスケースの上にのったプリザーブドフラワー。わたしは、部屋を見渡しながら、軽く部屋の様子をスケッチしました。それから中村の施術前に、一度お手洗いをお借りしました。トイレの横の壁には小さな額装が飾られていて、そこには『しあわせは あなたの すぐそばに あります』という筆字が書かれていました。わたしはそれを二、三度読み返すと、部屋へと戻ってから、急いでその言葉をノートにメモさせていただきました。


中村が着替えを済ませ、フットバスに浸かると、わたしはサロンへ向かう用水路で魚がいなかったことを話しました。前回、用水路を通ったときは魚がいると思っていたのですが、どうやら思い違いだったみたいでした、エッセイ記事にもこのことを書いてしまったので、修正しなくちゃなりませんね、と、確かそんなことを話したかと思います。


すると齋藤さんは「魚はいますよ」と朗らかな笑みを浮かべておっしゃいました。「魚はいます、います。たぶん、台風だからどこかに隠れているんじゃないでしょうか」


それを聞いて、わたしはなんだか少し安堵しました。


そして、再び齋藤さんは、今回お話があると呼び出してしまったことへのお詫びをし、今回、まだ話していなかったというお話をしてくださいました。


「実はこのつばきを開く前、ずっと休んでいたんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「精神的にずっとまいっていたんです……」




まず最初に人に触れることができなくなりました。


それから、手の平をちゃんと開いていることができなくなりました。なにかを握っていないことには手の震えが止まらなくなったのです。齋藤さんは震えを抑えるために、タオルを握りしめていたということです。


当時、齋藤さんはリラクゼーションのサロンに勤務していました。当然のことながら、このような状況にあっては、セラピストとしての仕事はできません。


お店側の計らいもあり、しばらくは受け付け業務としてのみ、齋藤さんはサロンへと勤務をしていました。とは言え、出勤するというそれだけでも、当時の齋藤さんにとって、本当に大変なことでした。登戸の町から出て電車に乗ることが怖かったと言います。齋藤さんは心と体が離れた状態のまま、どうにか勤務を続けられていました。


どうしてこのようになったのか……。それは齋藤さんの身に起きた、ある出来事(ご本人の意向もあり詳細については割愛します)が関係していると思われます。ですが、本当に問題であったのは、事柄そのものというよりも、そのことが齋藤さんの考えていた以上に、自身の心と体に「大きな傷を与えてしまった」ということでした。


「どうしても辞めたくなかったんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「本当に良いサロンでしたから。以前からまわりの友人たちにもここを辞めたら、もうどこにも勤めないと言っていました。それぐらいそこの職場が好きだったんです」


齋藤さんは一刻も早くご自身の体調を戻すために、心療内科へと通われました。担当してくださった女性の先生は、今にいたるまでの齋藤さんの経緯を、じっくりと丁寧に聞いてくださいました。カウンセラーの先生とのやりとりは非常に安心感があったということです。そこで、その先生からは「ベストと思っていることから抜けること」というアドバイスをもらいました。


とは言え、齋藤さんにとって、自宅、職場、心療内科とこの三つの場所を行き来しているそのときが、もっとも苦しい時期であったということです。そのころには、ストレスで手の皮膚もひどくただれてしまっていました。たくさんの人たちに支えられながらも、それに応えられないもどかしさや悔しさがつのり、自分でも驚くぐらい、涙をながす日が続いたということです。


結果、その数カ月後、齋藤さんは勤めていたサロンを退職することに決めたのでした。


「とにかく人が怖かったんです」と当時を振り返って、齋藤さんはわたしにおっしゃいました。「自分の後ろに人が立っているというのがダメでした。誰かに後ろに立たれるだけで、ものすごく怖くなっちゃうんです」


「それは身内の方でもダメだったんですか」


「たぶんダメだったと思います。とにかく、誰かが後ろにいることがどうにも怖くてしかたがなかったんです」




齋藤さんは中村の足裏を丁寧にマッサージしながら、自分がつらい時期にあった時のことを淡々とお話してくださいました。中村はずっと目をつぶったまま満足そうな表情を浮かべていました。こういう職業の方を見ていていつも感心させられるのですが、齋藤さんは会話をしながらも、しっかり仕事をこなしていきます。


わたしなんかは話を伺っているときは話に集中し、メモを取るときは話を止め、書くことに集中します。


齋藤さんはそんなわたしの様子を伺いながらも、わたしがメモを取っているときは会話をとめ、わたしのタイミングに合わせて話をしてくれるのでした。


「どうして今回、お話をしようと思ったのですか」とわたしは齋藤さんに伺いました。


「送っていただいたエッセイの原稿を読んでいて、これはまだ伝えきれてないんだなと思ったんです」


それとわたしの体験が少しでも同じような悩みを抱えている人の力になればいいなと思ったんです。ちょうど自分もこのことに対して、整理をつけたいなと思っていたところでした。それになにより、支えてくれた人たちに恩返しがしたかったんです。わたしもここまで来るのに色々な人に助けられてきましたから」


齋藤さんが自宅サロンを開くまでに、三つの重要な出来事がありました。そのうち二つに関してはすでに前回の記事で書いた通りです。同じ意味合いを持つオラクルカードを連続で引いたこと。現在サロンに使っているアパートの一室が空いたこと。――それから新たにもう一つ、つばきの花を見たことも大きなきっかけだったとおっしゃいました。


「雪の日に外に出たらつばきの花を見たんです。雪の中で力強く咲いていて、それでつばきみたいに強くなれたらいいなぁと思ったんです」


その日は雪が降っていました。しんしんと降り積もる雪に触れたとき、体がシャンッとする感じだったと齋藤さんは言います。齋藤さんは子供ころよく家の庭で雪だるまを作ったそうです。そうだ、今また雪だるまを作ってみようと思い、さて目や鼻の部分は何で作ろうか……と考えていた時、ベランダから赤いつばきの蕾を発見したそうです。そうだこれで目や鼻を作ろう、と齋藤さんは考えました。


まわりには花も咲いていました。その雪に包まれたつばきの花やこれから咲こうとしているつばきの蕾を見たとき、齋藤さんは「強さ」を感じたといいます。それは今まで見てきた、つばきとは意味合いの違うものでした。齋藤さんは、雪だるまを作ったあと、実際にそのつばきの蕾を「目」として雪だるまに加えました。それはまだ、サロンを開くということも、ましてやそのサロン名を「つばき」とすることも、まだ何も考えていないときのことです。その日の出来事が、齋藤さんをまた一歩前へと押し出してくれたということでした。


そしてそこからまた、齋藤さんは、一日も早く自分の体調を回復させ、自宅サロンを開いてみよう、と決意するにいたったのです。




「以前はヘルニアでも一度、別のお仕事をお辞めになられてますし…、正直、踏んだり蹴ったりだな、と考えたりされましたか」とわたしは失礼を承知で齋藤さんに伺ってみました。


すると齋藤さんは中村の背中にゆっくりと圧を加えながら「それは良い質問ですね」と微笑まれました。齋藤さんが、良い質問ですねとお応えくださるときは、たいていその質問に本質的な事柄が含まれているときです。齋藤さんは施術を続けながら、「いや、それが逆なんです」とそっと呟くようにおっしゃいました。「むしろあのときヘルニアになって長く休んだ経験があったから、今回のことを乗り切れたんだ、と思っているんです。あの時はほんとうに無駄に時間を使ってしまったので、逆に今回は『なんとかしよう』という気持ちが湧いてきました。………で、そう考えると、ヘルニアになった時のことも自分にとっては実は必要だったのかな、とも、今にしてみると思うんです」


齋藤さんは中村の背中から腰に向けてやさしくトリートメントをしていきます。もうすでに、わたしのノートは自分の書いた金釘文字で、乱雑に埋まっていました。わたしは話題を少し変えて、「人をケアする職業にとって痛みのようなものは必要だと思いますか」と齋藤さんに伺ってみました。


「痛みが必要かどうかはわかりませんが、相手に興味を示せるかというのはすごく大事なことだと思います。例えば、セッティングの際も一度来ていただいたお客様の場合、体型に合わせてベッドをセッティングします。細かいことでもそういうことに興味を示せるかというのは、とても重要だと思います」


「では、齋藤さんは、どのようにしてご自身の辛い状態から抜け出すことができたとお考えですか」


「やはり、しんどいときは一歩前に出る勇気が必要なんだと思います。確かにその一歩を踏み出すのはすごく勇気がいることなんだけど、でも、行ってしまえば、絶対変わると思うんです。その一歩が本当に大切なんだと思います」


「それに、一歩を踏み出す勇気って、日常のちょっとした部分にあると思うんです。人から何気なく言われたこととか、誰かとの出会いとか、あるいは、道ばたでたまたま見かけた動物とか植物とか……本当に何でもいいんですけど、そういう普段はなんでもないと思っているようなところから、『勇気』って生まれてくるんだと思うんです」


そして、齋藤さんにお話を伺っている最中、別の質問をしたときにも、これと同じような趣旨の言葉が度々かえってくるのでした。ある一つの質問をした時、それに対する答えが返ってきて、そこからまた派生して、今と同じようなメッセージが返ってくる、という感じです。


そしてそれは、現在自分と同じように苦しんでいる人に伝えたいメッセージであると同時に、斎藤さんご自身が、過去の自分に対して発している言葉のようにも思えました。大丈夫、怖くないから……と。言葉はひとつの深い祈りのように、何度もくり返し唱えられているように思えたのです。




「最近になって涙もろくなったんです」と齋藤さんはおっしゃいます。その頃にはようやく施術も終わり、わたしと中村は居間のソファに腰を掛けていました。前回とは違い、外はもうすっかり暗くなっています。齋藤さんは前回と同じように向かい端に正座し、お話をしてくださいました。


それまで齋藤さんは、めったに泣くことがなかったと言います。


二十代のころ老人ホームの面接を受けたとき、グループ面接で「お年寄りとの思い出」を語ることになりました。みなそれぞれが、自分たちの祖父母のことを思い出して、涙ながらに語っていました。でも、そんな中、齋藤さんだけが淡々と自分のエピソードを話していたということです。


その結果、面接に合格したのは齋藤さんともう一人の方のみでした。


職員として採用されてのち、齋藤さんは面接をしてくれた方に、どうして自分を採用したのか、尋ねられたそうです。すると、こういう職場ではあまり感情に流され過ぎないこともまた重要なことなのだ、とその上司の方から言われました。「なるほど、そういう考え方もあるのだなぁ」とそのとき齋藤さんは、妙に納得させられたといいます。いずれにしても、齋藤さんは、もともとが感情を前面にあらわすタイプの性格ではなかった、ということでした。


ところが、かつてはそんなであった齋藤さんも、ここ最近になってずいぶんと物事への受け止め方が変わられたと言います。


数年前、齋藤さんはご友人の結婚式に出席して、涙されたそうです。そのとき本気で、ご友人を祝福したい、という気持ちが生まれたということでした。それまでは疎遠になっていたご友人との関係も、三十代を過ぎてから、再び付き合いが戻っていったといいます。今は友人がいることへの幸せを深く感じている、とのことでした。去年の年末には沖縄へ、つい先日はまた別のご友人と深大寺に遊びに行かれたとのことでした。「本当に、幸せって日常の何気ないことであったりするんですよね」と齋藤さんはおっしゃいました。




その日の見かけることはなかった用水路の「魚」とトイレの額装に書かれていた「幸せは あなたの すぐそばに あります」という言葉、それから齋藤さんが話してくださった一連のエピソードから、わたしはふと谷川俊太郎さんの「黄金の魚」という詩があたまに思い浮かびました。


谷川さんの詩の中でも代表的な詩のひとつに数えられているので、ご存じの方も多いかもしれません。


その詩は「おおきなさかなは おおきなくちで ちゅうくらいのさかなをたべ」という出だしではじまり、最後に「どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない」という有名な詩句でむすばれます。


ところで、わたしは思うのですが、ひょっとすると「どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない」わけではなく、喜びというものの中にはそもそも涙が含まれているものではないか、と思ったりもするのです。


齋藤さんのブログの中には日常の何気ないことがつづられています。ご友人と遊びに出かけたときのことやご家族とのエピソードのこと、リフレクソロジーのことやその日の天候や雑貨のこと、あるいは道中で見かけた草木や花についてのこと。


それはごく普通の日常の光景であり、よろこびの光景でもあります。


でも、それはそれとして、用水路に隠れた魚を探すように、その方の内側をお伺いすると、そこにはたくさんの涙も無数に溶け込んでいるように思います。


ひとつぶのなみだが とけてないということはない……。


たくさんのなみだと入り混じって、そこには無数のよろこびが、きらきら、きらきらと輝いているように思えるのです。



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『癒し処 つばき』

「いろいろ当てられたよ……」


これは、うちのサロンパートナーである中村が「癒し処 つばき」さんへ施術を受けにいってきた帰りに、わたしに言ったセリフでした。


オーナーの齋藤さんは中村の足裏にふれながら、「う~~ん」と首をかしげていたそうです。泌尿器、消化器、腰回りや婦人科系…。これらに対応する部位に移るたびに「う~~ん」というにぶい声が発せられ、「その部位の調子があまりよくないこと」を指摘されたといいます。そしてその指摘された部分においては、確かにここのところあまり調子の良くないところばかりだったのです。(最初のフットバスで)足の甲を見た際は、「のどが弱いですね…」と指摘を受けたとのことでした。そう言えば、一昨年前、中村は正中けい嚢胞を患っていたのです。カウンセリングシートに書かなかった不調をもしっかりと指摘され、「おぉこれはすごい!」と中村もおおいに満足してサロンから帰ってきたのでした。


――そしてその日から一週間後、今度はわたしと中村の二人で(中村は見学という形で……)、再度「癒し処 つばき」さんのところへお伺いすることにしたのです。




つばきさんは南武線の中野島駅から歩いて13分ほどの距離にあります。


その日はちょうど台風が過ぎたあとで、空いちめんがすっきりと広く晴れわたっていました。サロンへの道中は、ごくごく普通の住宅地なのですが、それでも途中、民家のわきを魚のいる用水路が流れていたりして、どことなくのどかな雰囲気が漂います。よく、都心部のほうから来た人は、「多摩川をこえると町の雰囲気が変わる」と言いますが、確かにこのあたりの町の風景は、都心部にはない、どこか穏やかな空気に包まれているのです。


サロンはテニスコートの裏手にある白い木造建てのアパートにありました。


サロンの待合室である和室はとてもシンプルな作りとなっています。和室の畳の上にカーペットが引かれ、その上にソファとテーブル置かれています。まわりには木製の飾り棚やローボードが置いてあり、棚の上やショーケースの中に、和テイストのかわいらしい人形たちがきれいに並べられ飾られています。それらはサロンのために飾られたインテリアというよりは、むしろオーナーの齋藤さん自身が好きで集めてきたもの―――そしてそんな齋藤さんのお気に入りの空間へ、わたしたちは『お邪魔させていただいている』という感覚を得るのです。そのため部屋の中は、そこかしこに温もりのあふれた、とても居心地のよい空間となっているのでした。


さっそくわたしは施術室へ移動し、施術用の服へと着替えました。それから、フットバスに浸かったあと、いよいよベッドであおむけとなり、足裏を中心とした全身のボディケアをしていただきました。


正直、わたしも台湾式のリフレということで、はじめは緊張していたことと思います。なにしろ痛いことが苦手なのです。それでも、齋藤さんはゆっくりと包み込むようにしてわたしの足をおさえると、わたしの反応を見ながら、ほどよい力加減でゆっくりと圧を入れてくださいました。まるで初対面の人にやさしく語りかけるように、そっと足を手の中になじませていくのです。すると不思議なもので、わたしの足も齋藤さんに打ち解けたかのように、最初こわばっていたものが徐々にやわらかくほぐれていくのでした。


わたしは自分の足が齋藤さんの手の中で解きほぐされていくのを感じながら、「そもそもリフレをやろうと思った元々のきっかけはなんだったのですか」とたずねてみました。


すると齋藤さんは、う~んそうですね……と少し間をおいてから、「身体に対しては昔から興味があったんです」とお応えくださいました。「身体はどんなふうに動いていくのか、とか。食べ物を食べてどんなふうに体つきが変化していくのか、とか。わたしも学生の頃スポーツをやっていた関係で、『自分の体重をあげたい』と思った時期があって、たくさんご飯を食べていたときがあったんです。でも、食べていたらその分、体重が増えるというわけではなくて、どんなに食べても体重が増えないときがあるんです。じゃあ、どういう場合に増えて、どういう場合に増えないか、とか、そういうことにはずっと関心を持っていたんです」


齋藤さんは小学生のころ、少林寺拳法を習われていました。テレビでやっていた女子プロレスに憧れて、中学生のころは本気で格闘技の世界に入りたいとも思ったそうです。高校時代はバスケットに夢中になりました。とにかく、体を動かすことが好きで、四六時中運動に励んでいたということです。


「将来NBAの選手になりたかったんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「マイケルジョーダンにもすごく憧れていました。シカゴブルズに入団したいと思っていたんです。ジョーダンといっしょにプレーがしたい! って。本気でそう思っていました。で、そういうことを考えていたのが高校生の頃なのですから……今思うと、やっぱりちょっと頭がおかしかったんじゃないかなぁ、って思います(笑)」




齋藤さんは二十代のころ有料老人ホームで働かれていました。ところが、その一年半後、重度の椎間板ヘルニアになり、病院に搬送されたそうです。入院に一ヶ月、退院後もしばらくは自宅で療養をしていた、ということでした。


「とにかく荒んでましたね。体も全然動かせなかったですし。やることもなかったですし。自暴自棄になっていました」と齋藤さんはおっしゃいました。


「何もやってなかったというのは、本当に何もしてなかったんですか。例えばテレビゲームとかそういうことも……」


「いいえ何も。ただひたすら寝ていましたね」


退院直後は階段にも上がれない状態だったということです。


知り合いに紹介してもらったプールに通い、そこでしばらくはリハビリを行っていたということでした。その後、どうにか普通の生活ができるようになったあとも、足腰のだるさはいっこうに抜けず、足の親指にいたっては、いつまでもしびれを残したまま、生活を送ることとなりました。


そんな中、齋藤さんはリハビリを兼ね、リフレクソロジーのサロンに通います。


そこで出会った担当のリフレクソロジストさんが、精神的にも肉体的にも、大きな支えとなってくれたそうです。そこのサロンに通ううちに体のだるさも少しずつ緩和され、気持ちも前向きになっていった、ということでした。


「だから、その後アルバイトをはじめたときも、サロンに通うお金を稼ぐためという感じでしたね。それだけ、そのときのわたしにはとても必要なことだったんです」


齋藤さんはいくつものバイトをご経験されています。「あなたには向いてない、と言われるんです」と齋藤さんはおっしゃっていました。ひょっとしたら、不器用な面もお持ちなのかもしれません。バイトの研修中、緊張で足ががくがくと震えたこともあったそうです。お客様と接するぶんには問題ないのに、なぜか裏方で他のスタッフといっしょに仕事をしているとものすごく緊張してしまう、とのことでした。


そしてそのように、――かつてはお仕事を転々とされていた――齋藤さんが、今から二年半ほど前、「個人サロンを開業しよう」と思うに至った経緯には、いくつかの、ポイントとなる「偶然」があったといいます。


「その時期、全然別のところで引いたオラクルカードが、三回とも同じだったことがあったんです。それは『新しく何かをはじめる』『人との出会いがある』というものでした。その一つはたまたま妹の紹介でいったスピリチュアル系の勉強会だったのですが、そこでも、未来では『引越しをする』『お店を始める』という意味合いのカードが出てきました。それで、その後にもまた別の所でまったく同じカードを引いたりして……これってすごいなぁ、って。そのことにわたし自身、すごく驚いていたんです」


それから、今現在サロンを営んでいるアパートの部屋が、ちょうどその時ひとつ空いたということも大きく関係しています。そして最後に――これがもっとも重要なきっかけなわけですが――そもそもの出発点でもある、「リフレクソロジーを勉強しよう」と思うに至ったきっかけは、リフレクソロジーのサロンで齋藤さんの担当をしてくれていたお姉さんが、突然にお店を辞めてしまっていた、ということでした。齋藤さんはこれを機に「今度は癒される側から、癒す側にまわりたい」と思ったのだそうです。


そこから齋藤さんは独学で勉強をはじめ、それからまた、いくつかのサロンへと勤め技術を学び、多くの経験を積んでいくようになったのでした。


「だから、サロンははじめから『よしやるぞ!』という感じでやったわけではないんです。やっぱり個人サロンっていろいろ大変ですからね。いろいろ偶然が重なって、それで『じゃあやってみようかな……』という気になっていった感じです。それに元々わたし、すごく人見知りが激しい性格だったんですよ。ずっと引きこもっていましたし。近所の人たちに挨拶されても、すぐに隠れてしまったり……。だから近所の人たちも最初は心配してたみたいですよ。本当に大丈夫なのかな、って。でも、それが今こうして積極的にたくさんの方たちと接していますからね。人って本当に変わるものだと思います」




――ところで、施術も半ばを過ぎたころで、そばでわたしたちの会話をメモしていた中村が「せっかく来たんだから、もっと自分の体のことを伺ってみなよ。齋藤さんは色々なことがわかるんだから」と声をかけてきました。


確かにわたしは齋藤さん自身ことをお尋ねするのに集中していて、自分の体についてはほとんど何も聞いていなかったのです。齋藤さんは反射区を見て体のどこか不調かを推察されるだけではなく、その人の性格や特徴なども言い当てたりもする、とのことでした。そうなると、それはもう反射学の領域を超えたものになってくる。いったいどんなふうにして判断されるのか、わたしは齋藤さんにたずねてみました。


「それはもう色々ですね。体全体の骨格だったり、筋肉の付き方だったり、足の形だったり、その人の瞳だったり、目の動きだったり……。あるいは、反射区を見て肝臓の部分の調子が悪いお客様は、疲れがたまっていて、短気な性格になっているのかなぁ~、とか」


「それは経験的なものですか」


「経験的なものです。わたしとしては別に当てようと思って、やっているわけではないんです。でも、体の特徴から性格的なものがあるていどは判断できますし、こういった内容からお客さんとのコミュニケーションが取れたりしますからね。ときどきお客さんから占い師みたい、と言われたりしますよ(笑)


「でもそれって、感受性が強かったり、観察力が鋭くないとできないことだと思うんです。もともと小さいころから感じやすい子供だったりしたのですか」


齋藤さんは幼稚園の年長から小学二年生のころまで難聴を患っていた、ということでした。そのころは耳がよく聞こえなかったぶん、相手の顔色やしぐさで人を判断する、ということをしていたそうです。


「セラピストってなんか健康的なイメージだと思われがちじゃないですか」と齋藤さんはおっしゃいました。「でも、実はまったく逆だったりして、むしろ、あげくの果ての状態を知っているから相手のつらい気持ちがわかる、というところがあるんです。以前勤めていたサロンの同僚で、自分が大きなけがや病気をしたことないから、相手の状態を分かってあげられない、自分の施術に限界を感じている、という人がいました。確かに、自分が痛みを経験していないと、相手にどう対応していいか分からない、という部分があったりするんです。『痛み』ってセラピストにとって、とても大事な要素だと思います。……そう、ですからこの仕事って、ある意味で人生のマイナスをプラスに変えられる職業なんですよ」




その日は、わたしたちのあとにも2名いらっしゃるとのことでした。その日一日だけで予約は5件入っていた、とのことです。個人サロンで一日5件というのはかなり多い数字です。それでも、齋藤さん自身、体力的に厳しいと感じることはほとんどないらしく、むしろ、以前(サロンに勤めていたとき……)と比べて、「ようやくここにきて、自分の体との上手なつき合い方がわかるようになってきた」ということでした。


施術が終わって居間に戻ると、わたしと中村はお茶をいただきながら、齋藤さんのお話を伺っていました。時刻はもう夕方6時をまわっていました。夏の日差しは強く、カーテンの隙間から漏れる光も、この時間になって、ようやく淡くやわらいだところでした。


齋藤さんはテーブルの向かい端に正座しながら、現在サロンを運営しているこのアパートについてお話してくださいました。


「わたしはここがすごく気に入っているんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「なんかこう温かみがあって、まぁでもちょっと古い感じですけど……だからって、部屋が汚いとかそういうわけじゃないですし、ここってこう……すごく昭和な感じがするじゃないですか。それがすごく落ち着くんです」


「それにここは駅からも少し外れていますしね。駅から離れている、というのもわたしにとっては大きなポイントだったんです。やっぱり、駅に近いとなんとなく騒がしいですからね。ここぐらいの環境がちょうどよいなぁ……って。また、ほどよく音が入ってくるものいいんです。こうやって話していても、外からの音が聞こえてきます。子供たちが遊んでいる声とか、遠くで車が流れていく音とか。そういうのがすごく気に入っているんです」


確かに耳をすませると、子供たちの声が聞こえてきます。これから家に帰るところなのでしょう。カーテンがかかっているため部屋から直接外の様子はわかりませんが、なんとなくその情景があたまに思い浮かびます。そのころにはテニスコートからのボールの音は止んでいて、かわりに遠くのほうでバイクが通り過ぎる音が聞こえてきました。


気が付けば、予定していたアフターの30分を過ぎ、時刻は7時になろうとしていました。


この場所にこうしてくつろいでいると、本当に、あっという間に時間が過ぎていく感じがするのです。


最後にわたしは齋藤さんに「もし、宝くじで大金があたったらどうしますか」と伺ってみました。すると齋藤さんは冗談っぽく笑みを浮かべながら、「家族の通帳などにそれぞれ分けて貯金しますね」とお応えくださいました。


「サロンを大きくしたりとか、そういうことは考えませんか」


「考えませんね――」


それから、齋藤さんはもう一度、今度は少し間をおいて考えてから、「でも、そうですね……。もう古い家ですから耐震補強をするでしょうか」とおっしゃいました。「あと運転免許もほしいですね。駅からくるお客様を迎えられるように。それぐらいですかね。あとはもう、基本このままで大丈夫です」



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