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マルでの手記 ~アロマサロンを訪れて~

様々なアロマサロンを訪れ、そこでご活躍されているセラピストさんの断片をていねいに切り取っていきたいと思います。

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スウェディッシュボディケアサロン 『さろん・yamashiro-ya』

たぶん、あの「ミイ」に会いたいと思う人がいるのであれば、渡辺さんにお会いするといいかもしれません。


明るく、さっぱりしていて、ズバッと確信をついた事を述べられる…。


「『ミイと雰囲気が似ている と言われた』とブログに書かれていましたけど、確かに似てらっしゃるかもしれませんね」
わたしが渡辺さんにそう言うと、「小さいですからね」と渡辺さんは照れくさそうにお応えくださいました。


でも、そういう身体的なものとはまた別に…、そのちょっと早めの話し方や、快活なお人柄や、よく通る声や、ユーモアや、竹をわったようなまっすぐな人となりや…、それら一つ一つが、どこかあのムーミンに出てくる「ミイ」を想起させるのです。


なにより、その内面に、溢れんばかりの力強いパワーを感じさせます。


長きにわたるムーミンシリーズ。そんな中、唯一、どのような状況下においても、まったく物怖じせず、ブレなかったのはミイだけでした。いつもどっしりと構えているあのムーミンママですら、(一家で無人島に行った際は)寂しさでノイローゼになってしまったこともあったのに……。



       
渋谷の宮益坂を上り、青山通りにぶつかる少し手前を左に曲がった路地。そこにあるマンションの一室で渡辺さんは個人サロンyamashiro-yaを営んでおられます。…といっても、今あるサロンは今年2014年に移転されたばかり。昨年までは同じ渋谷にあったご実家でサロンを営まれていました。ご実家はもともと酒屋さん。
そのときの屋号をローマ字表記にし、サロン名を『yamashiro-ya』にされたそうです。


実家の屋号を引き継がれた、ということは、それだけ深い思い入れがあった、ということでしょうか。


わたしは渡辺さんに尋ねてみました。


すると渡辺さんは、


「…いや、というか、わたし元々、すぐにサロンをやるつもりはなかったんですよ」


とあっけらかんとした口調でお応えくださいました。


「リフレクソロジースクールを卒業後、勤めていたリフレクソロジーサロンで使用していたアロマオイル(精油)でアレルギーが出てしまい、その後、短期のアルバイトをしてたのですが、次の仕事まで丸1ヶ月、間が空いちゃったんです。で、どうしようかと悩んでいたところ、友人たちが『施術用ベッドもあるし、場所(スペース)もあるんだから(一ヶ月だけでも)やってみたらどお?』って言ってくれて、じゃあ、1ヶ月だけでも…と思ってスタートしたところ、友人やご近所の方々から、それは豪華なサロン開業の花などをいただいてしまいまして…なんかすごく大袈裟なことになっちゃって、それで一ヶ月では申し訳ないな~って思って続けていたら、いつの間にか今日にまでなっていました(笑)」


「前々から自宅サロンを計画されていて…、ということではなかったのですか?」


「いや、まったく」


そして今年。yamashiro-yaさんはサロンをオープンして10周年目を迎えられました。


なんとなく…、の開業からすでに10年。今ではスウェディッシュボディケアを中心に(スクールも兼ね)サロンを運営されています。“個人サロンの運営”という仕事で「10年」という月日は決して短いものではありません。なんとなく…で始められたというサロンは、今やしっかりと根を張り成長し(…そしてまた新たな「セラピスト」という種を生み)、もうすっかりベテランの域にまでなられたのです。

          

 
ところで、わたしがお客としてyamashiro-yaさんに初めて訪れた際、思わず「おやっ」と気になったことがありました。


カウンセリングシートの項目内容がなかなかにして細かいのです。


現在の体調、持病の有無、常用薬、食べ物のアレルギー…この辺まではわかるのですが、視力や血圧の数値、また、“ぜんそくの有無” “水虫の有無” といった細分化されての質問事項が並んでいたりします。質問事項の書かれた文字のフォントも、サロンのそれとしてはちょっと大きい。正直なところ、近所の病院の問診票よりもよっぽどしっかりしたものであるように思われました。


渡辺さんは20代前半から、甲状腺疾患であるバセドウ病を患っておられます。


また同じく20代のころ、食べ物でアレルギーの症状を起こし、病院へと運ばれたご経験があるそうです。30代で訪問介護の職をされていたときは、ストレスで体調を大きく崩され、その後、勤めたリフレクソロジーのサロンでも精油のアレルギーで退職を余儀なくされています。また4年程前、下肢静脈瘤の手術もされたそうです。その他、――施術後の短時間で、到底すべてを伺うことはできませんでしたが ―― そのお話しぶりから、様々なご病気を経験されているご様子でした。


「だから海外旅行にも簡単に行けないんです」と渡辺さんはおっしゃいました。


「食べ物のアレルギーが怖くて。だって食事って何が入っているかわからないじゃないですか。向こうで倒れても大変ですし、それにレストランとかで具合が悪くなって、食中毒とかと間違われても、レストランにご迷惑をかけるだけですし。でも、何より怖いのが機内食。飛行機の中で発作が起きたら、本当にどうにもならないですからね」


サロンであるのだから、お客様の体調を気遣うのは、当然と言えば当然のことと言えなくもないのですが、やはり渡辺さんの場合、お客様の体への気配りが人一倍強い、と感じたのは決して思いすごしではありませんでした。


「お客様にそう書くのは、自分自身が体調不良で具合が悪くなった経験があるからです。体調がすぐれず、お客様やスクールの生徒さんたちに当日の予約をキャンセルしていただくこともありました」


渡辺さんは一度手術を受けたものの、今もまだバセドウ病の薬を飲み続けておられます。


ひどいときには体がだるくて動けなくなる…。


それでも、渡辺さんの話をうかがっていて、決して重い気持ちに陥らないのは、渡辺さんご自身の中につよい前向きなエネルギーがある、からだと思います。


冬のムーミン谷を元気にひた走るミイのように、どこまでもポジディブで明るいパワーが、お話をうかがっていてビリビリと強く伝わってくるのです。


「だからわたし、この辺の病院のことは本当に詳しいんですよ」と渡辺さんは気さくにおっしゃいました。「友達などに、よくこのあたりで○○科でいい病院知らない? と聞かれる事が多いんです(笑)」


たぶんミイと渡辺さんで決定的に違うところがあるとすれば、ミイはあくまで妖精で、渡辺さん自身はやはり「生身の人間」であること、ではないでしょうか。
妖精が病気にかかるかはよくわかりませんが、少なくとも人間は病気にもなるし、色々なことで傷ついたりもします。
痛みのある分、人に対して、より痛みのわかる方であるように思われました。



 
昨年は肉体的にも精神的にも大変だった、とのことです。


渋谷は今再開発が進んでいます。以前、yamashiro-yaさんのあったご実家も、区画整理のため、立ち退きを余儀なくされた、とのことでした。


そのときの状況をブログで拝見する限り、新しいサロン物件を探すのにも、だいぶご苦労されたご様子がうかがえます。


「移転先も渋谷駅から5分以内のところが良かったんです」と渡辺さんはおっしゃられました。「ずっと住んでいた場所ですし、私を育ててくれた場所だから」


「商売をやっていたせいもあって、ご近所との関係はすごく密なんです。だからここから離れるわけにはいかないというか……。ここから駅に向かう間にも、一人二人、誰かしら知り合いにあったりします。それと、例えば届け物の荷物なども、今でも近所の方に荷物を預けてもらったりしています。田舎から野菜などが送られてきたときも、ご近所の方々とおすそ分けし合ったりもするんですよ」


これにはさすがにちょっと驚きました。


今の人間関係が希薄と言われる時代に、しかもよりにもよって『渋谷』で、そのような深い人とのつながりがあるとは、とても意外な感じがしたのです。


ここから数百メートル先の場所では、大勢の人たちがお互いの隙間を潜り抜けるように往来している。その事実とどうしてもうまく結びつかないような気がしました。


「だから下手に悪いことはできないんですよ。みんな見てますからね。あっという間に悪い噂も広まっちゃいます」


そう渡辺さんは冗談っぽく、笑みを浮かべながらおっしゃっていました。




 “yamashiro-ya さんというサロンは本当に多くの方たちによって作り上げられています”

 
別にこれはよくある“決まり文句”として述べているわけではありません。そうではなく、実際に、yamashiro-yaさんというサロンは、(渡辺さんを応援する)多くの方たちの贈りものによって、部屋がデザインされているのです。


ソファの横にある大きなアルパカの人形はサロンとは別でライフワークにしているタップダンスの生徒さんからのプレゼント。壁に掛けられた富士山の写真は知り合いの方からの贈りもの。棚に飾られたウサギの人形は、渡辺さんの干支である「酉」と対極にあって、相性が良いからとご近所のおばあさまからいただいたもの。ベッドの奥に飾られた観葉植物に限っては、サロンに長く通ってくださっているお客様が、引っ越し後に一度サロンに足を運び、「今この場所に必要なインテリアは」と見定めてからプレゼントしてくださったもの ――とのことでした。


その他、数多くの渡辺さんへの贈りものが、サロンを形作っています。


中でも、一番多く飾られているものが、渡辺さんのお母さまが自らお作りになられたものでした。


藍染のものや刺繍の施されたタペストリー、小さいころ子供の布団カバーで作られたひざ掛け毛布。玄関に飾られた魚たちの絵。布をきれいに切貼りして作られた織物。それらの作品すべてが、お母さま自らお作りになられたものだということでした。


渡辺さんのブログ中でも、お母さまについて、たびたび記事で述べられています。


それは決して直接的な表現でなくとも、その文面からは、言葉の端々でお母さまへの深い感謝の気持ちがうかがえます。


きっととても素敵なお母さまなのでしょう。


わたしは思わず、お母さまはどのような方ですか、と渡辺さんにうかがってみました。


すると渡辺さんは一瞬間をおいてから、
「シビアな人ですね」とおっしゃられました。「シビアです。長く商売をやっていた人間ですからね。色々な面で厳しい人ですよ。商売のノウハウや接客、経営、もちろんお金に対しても……。そしてわたしはきっとすべての面で母に勝てないでしょうね」




渡辺さんは本当に色々な話をしてくださいました。


サロンのことやご自身のこと、ご病気のこと、スウェディッシュボディケアのこと、ご家族やお客様への感謝の想いのことや、ライフワークとしているダンスのこと、インテリアのこと、今後考えているボランティアのこと……。


当初、わたしは、 “施術を受けに来ている間の時間だけでもお話をうかがえたら”と思っていました。ところが渡辺さんは、わたしの予想していたよりもずっと長く、丁寧にお話をしてくださったのです(幸い、サロンを訪れたのが遅い時間であったため、あとのお客様につかえることがなかった、ということもおおいに関係していたと思います)。


こちらの要望には全力でお応えしようとしてくださる。


とにかく、サービス精神がとても旺盛な方なのです。


これもひょっとしたら、酒屋さんをやられていたころからの、脈々と受け継がれる『気質』というべきものなのかもしれません。


わたしも、「そろそろお暇を告げなければ」と思いつつも、そんな渡辺さんのお話に、ついつい引き込まれていったのでした。


帰り際、玄関の横にある絵画についてうかがった際も、渡辺さんは気さくに応じてくださいました。これは渡辺さんのお母様が描かれた絵であるということ…。そしてわたしも、その場の話の流れから、「あの奥にある写真はなんですか」と別のインテリアについても(ついつい…)お尋ねをしてしまいました。渡辺さんは、嫌な顔ひとつせず――というよりも、むしろ快く――その写真についてもお話をしてくださいました。


なんだかんだで、玄関の場でもけっこう長く話をしてしまった感じがします。


翌日、渡辺さんからメールがありました。


その後、お体の調子はいかがですか、という内容のメールで、文面の半ばで「お話が長くなってしまい帰宅後、一人反省しておりました」と書かれていました。


とんでもございません。


これ以上ないほどに、とても充実した一日を過ごすことができたのです。