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マルでの手記 ~アロマサロンを訪れて~

様々なアロマサロンを訪れ、そこでご活躍されているセラピストさんの断片をていねいに切り取っていきたいと思います。

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『癒し処 つばき』

「いろいろ当てられたよ……」


これは、うちのサロンパートナーである中村が「癒し処 つばき」さんへ施術を受けにいってきた帰りに、わたしに言ったセリフでした。


オーナーの齋藤さんは中村の足裏にふれながら、「う~~ん」と首をかしげていたそうです。泌尿器、消化器、腰回りや婦人科系…。これらに対応する部位に移るたびに「う~~ん」というにぶい声が発せられ、「その部位の調子があまりよくないこと」を指摘されたといいます。そしてその指摘された部分においては、確かにここのところあまり調子の良くないところばかりだったのです。(最初のフットバスで)足の甲を見た際は、「のどが弱いですね…」と指摘を受けたとのことでした。そう言えば、一昨年前、中村は正中けい嚢胞を患っていたのです。カウンセリングシートに書かなかった不調をもしっかりと指摘され、「おぉこれはすごい!」と中村もおおいに満足してサロンから帰ってきたのでした。


――そしてその日から一週間後、今度はわたしと中村の二人で(中村は見学という形で……)、再度「癒し処 つばき」さんのところへお伺いすることにしたのです。




つばきさんは南武線の中野島駅から歩いて13分ほどの距離にあります。


その日はちょうど台風が過ぎたあとで、空いちめんがすっきりと広く晴れわたっていました。サロンへの道中は、ごくごく普通の住宅地なのですが、それでも途中、民家のわきを魚のいる用水路が流れていたりして、どことなくのどかな雰囲気が漂います。よく、都心部のほうから来た人は、「多摩川をこえると町の雰囲気が変わる」と言いますが、確かにこのあたりの町の風景は、都心部にはない、どこか穏やかな空気に包まれているのです。


サロンはテニスコートの裏手にある白い木造建てのアパートにありました。


サロンの待合室である和室はとてもシンプルな作りとなっています。和室の畳の上にカーペットが引かれ、その上にソファとテーブル置かれています。まわりには木製の飾り棚やローボードが置いてあり、棚の上やショーケースの中に、和テイストのかわいらしい人形たちがきれいに並べられ飾られています。それらはサロンのために飾られたインテリアというよりは、むしろオーナーの齋藤さん自身が好きで集めてきたもの―――そしてそんな齋藤さんのお気に入りの空間へ、わたしたちは『お邪魔させていただいている』という感覚を得るのです。そのため部屋の中は、そこかしこに温もりのあふれた、とても居心地のよい空間となっているのでした。


さっそくわたしは施術室へ移動し、施術用の服へと着替えました。それから、フットバスに浸かったあと、いよいよベッドであおむけとなり、足裏を中心とした全身のボディケアをしていただきました。


正直、わたしも台湾式のリフレということで、はじめは緊張していたことと思います。なにしろ痛いことが苦手なのです。それでも、齋藤さんはゆっくりと包み込むようにしてわたしの足をおさえると、わたしの反応を見ながら、ほどよい力加減でゆっくりと圧を入れてくださいました。まるで初対面の人にやさしく語りかけるように、そっと足を手の中になじませていくのです。すると不思議なもので、わたしの足も齋藤さんに打ち解けたかのように、最初こわばっていたものが徐々にやわらかくほぐれていくのでした。


わたしは自分の足が齋藤さんの手の中で解きほぐされていくのを感じながら、「そもそもリフレをやろうと思った元々のきっかけはなんだったのですか」とたずねてみました。


すると齋藤さんは、う~んそうですね……と少し間をおいてから、「身体に対しては昔から興味があったんです」とお応えくださいました。「身体はどんなふうに動いていくのか、とか。食べ物を食べてどんなふうに体つきが変化していくのか、とか。わたしも学生の頃スポーツをやっていた関係で、『自分の体重をあげたい』と思った時期があって、たくさんご飯を食べていたときがあったんです。でも、食べていたらその分、体重が増えるというわけではなくて、どんなに食べても体重が増えないときがあるんです。じゃあ、どういう場合に増えて、どういう場合に増えないか、とか、そういうことにはずっと関心を持っていたんです」


齋藤さんは小学生のころ、少林寺拳法を習われていました。テレビでやっていた女子プロレスに憧れて、中学生のころは本気で格闘技の世界に入りたいとも思ったそうです。高校時代はバスケットに夢中になりました。とにかく、体を動かすことが好きで、四六時中運動に励んでいたということです。


「将来NBAの選手になりたかったんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「マイケルジョーダンにもすごく憧れていました。シカゴブルズに入団したいと思っていたんです。ジョーダンといっしょにプレーがしたい! って。本気でそう思っていました。で、そういうことを考えていたのが高校生の頃なのですから……今思うと、やっぱりちょっと頭がおかしかったんじゃないかなぁ、って思います(笑)」




齋藤さんは二十代のころ有料老人ホームで働かれていました。ところが、その一年半後、重度の椎間板ヘルニアになり、病院に搬送されたそうです。入院に一ヶ月、退院後もしばらくは自宅で療養をしていた、ということでした。


「とにかく荒んでましたね。体も全然動かせなかったですし。やることもなかったですし。自暴自棄になっていました」と齋藤さんはおっしゃいました。


「何もやってなかったというのは、本当に何もしてなかったんですか。例えばテレビゲームとかそういうことも……」


「いいえ何も。ただひたすら寝ていましたね」


退院直後は階段にも上がれない状態だったということです。


知り合いに紹介してもらったプールに通い、そこでしばらくはリハビリを行っていたということでした。その後、どうにか普通の生活ができるようになったあとも、足腰のだるさはいっこうに抜けず、足の親指にいたっては、いつまでもしびれを残したまま、生活を送ることとなりました。


そんな中、齋藤さんはリハビリを兼ね、リフレクソロジーのサロンに通います。


そこで出会った担当のリフレクソロジストさんが、精神的にも肉体的にも、大きな支えとなってくれたそうです。そこのサロンに通ううちに体のだるさも少しずつ緩和され、気持ちも前向きになっていった、ということでした。


「だから、その後アルバイトをはじめたときも、サロンに通うお金を稼ぐためという感じでしたね。それだけ、そのときのわたしにはとても必要なことだったんです」


齋藤さんはいくつものバイトをご経験されています。「あなたには向いてない、と言われるんです」と齋藤さんはおっしゃっていました。ひょっとしたら、不器用な面もお持ちなのかもしれません。バイトの研修中、緊張で足ががくがくと震えたこともあったそうです。お客様と接するぶんには問題ないのに、なぜか裏方で他のスタッフといっしょに仕事をしているとものすごく緊張してしまう、とのことでした。


そしてそのように、――かつてはお仕事を転々とされていた――齋藤さんが、今から二年半ほど前、「個人サロンを開業しよう」と思うに至った経緯には、いくつかの、ポイントとなる「偶然」があったといいます。


「その時期、全然別のところで引いたオラクルカードが、三回とも同じだったことがあったんです。それは『新しく何かをはじめる』『人との出会いがある』というものでした。その一つはたまたま妹の紹介でいったスピリチュアル系の勉強会だったのですが、そこでも、未来では『引越しをする』『お店を始める』という意味合いのカードが出てきました。それで、その後にもまた別の所でまったく同じカードを引いたりして……これってすごいなぁ、って。そのことにわたし自身、すごく驚いていたんです」


それから、今現在サロンを営んでいるアパートの部屋が、ちょうどその時ひとつ空いたということも大きく関係しています。そして最後に――これがもっとも重要なきっかけなわけですが――そもそもの出発点でもある、「リフレクソロジーを勉強しよう」と思うに至ったきっかけは、リフレクソロジーのサロンで齋藤さんの担当をしてくれていたお姉さんが、突然にお店を辞めてしまっていた、ということでした。齋藤さんはこれを機に「今度は癒される側から、癒す側にまわりたい」と思ったのだそうです。


そこから齋藤さんは独学で勉強をはじめ、それからまた、いくつかのサロンへと勤め技術を学び、多くの経験を積んでいくようになったのでした。


「だから、サロンははじめから『よしやるぞ!』という感じでやったわけではないんです。やっぱり個人サロンっていろいろ大変ですからね。いろいろ偶然が重なって、それで『じゃあやってみようかな……』という気になっていった感じです。それに元々わたし、すごく人見知りが激しい性格だったんですよ。ずっと引きこもっていましたし。近所の人たちに挨拶されても、すぐに隠れてしまったり……。だから近所の人たちも最初は心配してたみたいですよ。本当に大丈夫なのかな、って。でも、それが今こうして積極的にたくさんの方たちと接していますからね。人って本当に変わるものだと思います」




――ところで、施術も半ばを過ぎたころで、そばでわたしたちの会話をメモしていた中村が「せっかく来たんだから、もっと自分の体のことを伺ってみなよ。齋藤さんは色々なことがわかるんだから」と声をかけてきました。


確かにわたしは齋藤さん自身ことをお尋ねするのに集中していて、自分の体についてはほとんど何も聞いていなかったのです。齋藤さんは反射区を見て体のどこか不調かを推察されるだけではなく、その人の性格や特徴なども言い当てたりもする、とのことでした。そうなると、それはもう反射学の領域を超えたものになってくる。いったいどんなふうにして判断されるのか、わたしは齋藤さんにたずねてみました。


「それはもう色々ですね。体全体の骨格だったり、筋肉の付き方だったり、足の形だったり、その人の瞳だったり、目の動きだったり……。あるいは、反射区を見て肝臓の部分の調子が悪いお客様は、疲れがたまっていて、短気な性格になっているのかなぁ~、とか」


「それは経験的なものですか」


「経験的なものです。わたしとしては別に当てようと思って、やっているわけではないんです。でも、体の特徴から性格的なものがあるていどは判断できますし、こういった内容からお客さんとのコミュニケーションが取れたりしますからね。ときどきお客さんから占い師みたい、と言われたりしますよ(笑)


「でもそれって、感受性が強かったり、観察力が鋭くないとできないことだと思うんです。もともと小さいころから感じやすい子供だったりしたのですか」


齋藤さんは幼稚園の年長から小学二年生のころまで難聴を患っていた、ということでした。そのころは耳がよく聞こえなかったぶん、相手の顔色やしぐさで人を判断する、ということをしていたそうです。


「セラピストってなんか健康的なイメージだと思われがちじゃないですか」と齋藤さんはおっしゃいました。「でも、実はまったく逆だったりして、むしろ、あげくの果ての状態を知っているから相手のつらい気持ちがわかる、というところがあるんです。以前勤めていたサロンの同僚で、自分が大きなけがや病気をしたことないから、相手の状態を分かってあげられない、自分の施術に限界を感じている、という人がいました。確かに、自分が痛みを経験していないと、相手にどう対応していいか分からない、という部分があったりするんです。『痛み』ってセラピストにとって、とても大事な要素だと思います。……そう、ですからこの仕事って、ある意味で人生のマイナスをプラスに変えられる職業なんですよ」




その日は、わたしたちのあとにも2名いらっしゃるとのことでした。その日一日だけで予約は5件入っていた、とのことです。個人サロンで一日5件というのはかなり多い数字です。それでも、齋藤さん自身、体力的に厳しいと感じることはほとんどないらしく、むしろ、以前(サロンに勤めていたとき……)と比べて、「ようやくここにきて、自分の体との上手なつき合い方がわかるようになってきた」ということでした。


施術が終わって居間に戻ると、わたしと中村はお茶をいただきながら、齋藤さんのお話を伺っていました。時刻はもう夕方6時をまわっていました。夏の日差しは強く、カーテンの隙間から漏れる光も、この時間になって、ようやく淡くやわらいだところでした。


齋藤さんはテーブルの向かい端に正座しながら、現在サロンを運営しているこのアパートについてお話してくださいました。


「わたしはここがすごく気に入っているんです」と齋藤さんはおっしゃいました。「なんかこう温かみがあって、まぁでもちょっと古い感じですけど……だからって、部屋が汚いとかそういうわけじゃないですし、ここってこう……すごく昭和な感じがするじゃないですか。それがすごく落ち着くんです」


「それにここは駅からも少し外れていますしね。駅から離れている、というのもわたしにとっては大きなポイントだったんです。やっぱり、駅に近いとなんとなく騒がしいですからね。ここぐらいの環境がちょうどよいなぁ……って。また、ほどよく音が入ってくるものいいんです。こうやって話していても、外からの音が聞こえてきます。子供たちが遊んでいる声とか、遠くで車が流れていく音とか。そういうのがすごく気に入っているんです」


確かに耳をすませると、子供たちの声が聞こえてきます。これから家に帰るところなのでしょう。カーテンがかかっているため部屋から直接外の様子はわかりませんが、なんとなくその情景があたまに思い浮かびます。そのころにはテニスコートからのボールの音は止んでいて、かわりに遠くのほうでバイクが通り過ぎる音が聞こえてきました。


気が付けば、予定していたアフターの30分を過ぎ、時刻は7時になろうとしていました。


この場所にこうしてくつろいでいると、本当に、あっという間に時間が過ぎていく感じがするのです。


最後にわたしは齋藤さんに「もし、宝くじで大金があたったらどうしますか」と伺ってみました。すると齋藤さんは冗談っぽく笑みを浮かべながら、「家族の通帳などにそれぞれ分けて貯金しますね」とお応えくださいました。


「サロンを大きくしたりとか、そういうことは考えませんか」


「考えませんね――」


それから、齋藤さんはもう一度、今度は少し間をおいて考えてから、「でも、そうですね……。もう古い家ですから耐震補強をするでしょうか」とおっしゃいました。「あと運転免許もほしいですね。駅からくるお客様を迎えられるように。それぐらいですかね。あとはもう、基本このままで大丈夫です」